崑崙の娘 (5)




『なぜ、人間ごときが風伯や雨伯のことを…。姫、ひとごときにわれ等のことを話されたのですかっ?』
 
青龍は古しえの言葉で、メイリンに険しい目を向けた。きつい目で睨まれたメイリンはうろたえて首を振った。
『わ、われは何も話してない。このものたちはなぜか崑崙のことも雨伯のことも最初から知っているのだ』
『そんなことを知っているもの者がもしいるとするならば、それは陰陽師か、もしくは道教の道士といったところでしょうね』
落ち着いた声で朱雀が言った。
『千年も前ならばな。だが、もうこの時代にそんなものなどこの国にはおらぬ』
この国の術師や道士はとっくに滅んじまってるぞ、と青龍が小ばかにしたように言う。
その会話に晴明の声が割り込んだ。
 
『われらを絶滅危惧種か何かのように話すのはやめてもらいたいものですね、保憲さま。』
 
『まったく、おまえの言うとおりだ。俺らは希少動物か。』
保憲がその言葉に同意する。
『おまえたち、言葉を…』
ふたりが自分たちと同じ言葉を話すのに、朱雀は驚いて晴明たちを見た。
「まさか、古しえの陰陽師?ばかな…。」
青龍が否定する。この国に今更、陰陽師など。
が。
『訂正させていただければ、古しえの、ではなく現役の陰陽師です。』
青龍の顔の前で、晴明は指を一本立てて、ツッツッツッ…と横に振った。
『まあ、それはそれとして。
私たちとしては、これ以上あなた方にかかわる気はハッキリ言って毛頭ないのです。ただ、後々私たちに迷惑がかかっては非常に迷惑ですので迷惑回避のためにも、今回の件を少しばかり説明してもらいませんとね。』
だからとっとと事情を話せと晴明の目はメイリンを睨む。
 
『われは崑崙の…鈴鳴(リンメイ)。わけあって宝卵の中で宝杖を守っている。』
 
晴明の一睨みが功を奏したのか、メイリンはポツリポツリと話し始めた。
『リンメイさまっ!』
『そのようなこと、この者たちに話すいわれなどございませぬっ!』
朱雀と青龍が止める。その二人の言葉をぎゅっと瞼をとじて聞き流し、メイリンは話し続けた。
『ひ、博雅に迷惑をかける気など本当になかったのだ。ただ、博雅の優しい言葉がうれしくて少しでも一緒にいたかっただけで。』
そういって涙で潤んだ瞳を博雅に向ける。が、晴明はその視線を冷たい目ではねのける。これ以上博雅にメイリンを関わらせる気はない。
晴明の氷のような目線にぶつかって、メイリンの視線が再び足元にさまよう。
 
『わ、我の母はその昔、我と同じようにこの宝卵の中でたった一人で宝杖を護っておった。けれど、あるときその母に気づいてくれた人の子と恋に落ちた。そしてそのものと一緒になるために人の世に下った。我は博雅に声をかけられたとき母のように我にも幸せな恋がめぐりきたかと思ったのだ。まさか博雅にこのようなこわもての恋人がいるなどとは思いもしなかったけれど。』
今度はちらっと晴明にうらやましげな視線を投げた。
 
『リンメイさま…、それはどういうことです?あなたはずっとあの宝卵におられたのではありませんか。いったいいつ人の世に降りたというのですか』
青龍がいったいなにをと、戸惑ったように言った。
朱雀は何も言わずにリンメイをじっと見つめた。
『このお方が人の世に下ったというわけではない。この方の母君が、と言ったではないか』
まったく何を聞いてるんだと晴明はふんと鼻で青龍を笑った。
『ばかな!人の子よ、おまえは黙っていろ!』
青龍がいきり立って怒鳴った。
『怒鳴るな、うるさいやつだな、まったく。』
鬱陶しげに秀麗な眉を寄せて晴明は言った。
『なにをっ!』
挑発されて青龍の目がぎらりと青く光った。
『やるか…?』
晴明の目も負けずに冷たく蒼く光る。
『よせ、青龍』
「やめろよ、晴明」
朱雀と博雅がほぼ同時に二人をそれぞれ止めた。二人はそれぞれにちょっと驚きながらもにやっと笑みを交わした。まるでお互い苦労しますねというように。
『まあ二人ともそう熱くならないで。』
それぞれの相方に抑えられた二人の間に入ってそういったのは保憲だ。
『リンメイ…さま?あなたが人の男と一緒になって子を成すなどできるわけがありませんよね。』
リンメイの上から下までを無遠慮に眺め回して、保憲は言った。
 
『だってあなたは神をそういう風に分けていいのかはよく知りませんが、人の世で言うところの…その…男の子だからねえ』
 
『ばっ…ばかなっ!!われらが姫に向かって男だなどとは!失礼も大概にしろっ!』
青龍がひときわ大きな声を上げた。
『まあ、まて 青龍。』
『なぜ止める朱雀!こいつらは姫を愚弄しおったのだぞ!姫のような可憐なお方を男だなどとは、無礼にもほどがあるっ!』
青龍は怒って止める朱雀にまでも大声を上げた。
ところが、朱雀は怒るでもなく、静かに、だがとんでもないことを口にした。
 
『確かに言い方は礼儀を欠いてはいるが…、残念ながら、姫が実は姫ではないというのは…本当には違いないからな…。』
 
『朱雀!お前までなにを言う!?』
青龍の目が、あまりの驚きに見開かれる。
だが、憤慨する青龍とは対照的に、朱雀はこれですべて納得がいった、というように静かにつぶやいた。
 
「そのメイリンという名もなあ…本当は違う名ではないのか?』
さらに保憲も言う。
『そうですね。その名は本当の名ではない。本当の名なら、もうとっくに私の呪がかかっているはず。』
『は!なにをいう!お前ごとき人間などのまじないなど、この我らにかかるものか。』
青龍は晴明をねめつけて言った。
そして、晴明と保憲に向かって、バッ!と片手を挙げた。
 
「吽!」
 
その手のひらが眩しい白い光を放つ。
「わっ!」
白い光に照らされて博雅はまぶしげに目を細めて言った。晴明と保憲にもその光はもちろん当たったが、こちらの二人は黙ってわずかに眉をひそめた。
 
『さあ、青龍、それにメイリンさま、こんなところにぐずぐずしているわけにはまいりませぬ。敵が近くまで迫ってきているとの情報も入っております。ひとまず、宝卵に帰りましょう。』
姫が男なわけなどあってたまるか、と怒り収まらない青龍とメイリンのふたりを朱雀が促す。
「わかっておる…。彼らの記憶から我のことを消し去ったのか…、朱雀?」
メイリンは心配そうに3人を見やった。
「当たり前でしょう。私たちの記憶など彼らには無用です。我らには我らの時があります。」
朱雀は晴明らに背を向けて言いながら、開け放たれたままの窓に一歩近づいた。
 
「…だ、そうだ。アキラ。」
 
保憲が腕を鷹揚に組んで晴明に目を向けた。
「はは。まあ、私たちこそあんまりこの方たちとはかかわりたくはありませんがね、このまま知らぬ顔をしていてもよかったのですが…そうもゆかぬようです。」
「お前たち…私の力が効かぬのか…」
朱雀の目がきつく狭められた。
「ならば、もう一度…」
「そんな暇などなさそうですよ、朱雀どの」
「そう、どうやら新しい客人のようだ。まったく、今日は我が家はいろんなヤツでいっぱいだよ」
そういって保憲が肩をすくめて見せた。
「いったい、なんのこと…」
言いかけた朱雀を青龍がさえぎる。
「待て!朱雀、…そいつらの言うとおりだ、…来るぞ!」
 
そのとき、家を揺るがすほどの衝撃が襲った。
 
「な、なんだっ!この衝撃は?晴明!」
揺れる足元、博雅が晴明をアキラと呼ぶことも忘れて聞いた。
「この家の結界になにかが、いや、何者かが力任せにぶつかったのさ。」
晴明はギシリと音を立てる天井に厳しい目を向けた。
「だが、さっきは朱雀どのらがたやすくこの家に入ってきたではないか。なぜ、今のは中にはいれないんだ?」
「それはこいつらとメイリンどのは主従の関係できっちりとつながりを持っているからさ。何千年という長い時をそうやって一緒にいた彼らにはちょっとやそっとの結界など障壁にもならないのさ。」
「だが、今この家の外にいるやつは違う。こいつは明らかに敵だ。だから結界は最大の力を出してこいつを決して中には入れようとしないのですよ、博雅さま」
晴明の言葉をつないで保憲が言った。
 
ドド…ンンッ…ッ…
 
またしても地響きのような音とともに家が揺れる。
 
「朱雀、ここは俺に任せておまえは姫を護って宝卵になんとか戻るのだ」
青龍が朱雀と彼の背後に護られているリンメイを振り返って命じた。
「だが、青龍、お前一人でどうなるのだ!敵はきっとヤツだ。お前を一人残してゆくわけにはいかない!」
「我らが手を貸す。朱雀どのは博雅と保憲どのとともに外に逃げられよ。その宝卵とやらに戻れればなんとか逃げ切れるのだろう?」
「あ、ああ、だがおまえら人間になにが手伝えるというのだ。むしろ、邪魔にしかならぬ、ひっこんでおれ。」
「邪魔かどうか…やってみなければわからぬでしょう?」
「生意気な人間だな、おまえ」
晴明の言葉に青龍は唇の端をひきあげて苦笑いをした。ぎらりとした犬歯が光る。
「こんなときでなければおまえなど頭から食らってやるのに」
「はは。それは無理というものでしょう。あなたは天龍の眷属、御仏に帰依した一族だ、人など食らうわけがない」
「なぜ、それを…」
「それは私がこの時代のものではないということですよ。ほら、来ましたよ。ご油断なさりませぬよう…」
晴明の手がすっと懐に入り、その中から紫檀でできた蝙蝠を取り出す。顔面でバラリと蝙蝠を半分開くと、晴明は古しえより伝わる秘められた呪を唱え始めた。
「なるほど…。本物の陰陽師であったか、おぬしら。今頃こんな連中がまだいたとはな。」
「人を化石みたいに言わないでいただけますかね」
 
ドンッ!
 
強風とともに庭に続くガラスのドアがバリンと割れて開いた。
 
ウガアッ!
 
太い首の上に似合わぬ小さな頭、対して肉の塊のごとき巨大な体躯の化け物のようなヤツがガラスドアを半分引きちぎって、咆哮する。
晴明、保憲、博雅、四神が一斉に身構える。
が、その化け物を片手で制して後ろから一人の男が姿を現した。
 
「うるさいよ、おまえ。静かにおし。」
手にした一本の赤いバラで化け物をピシリと一打した。紺地に白の細いストライプの入ったいかにも高級そうなスーツに身を包んだ華奢な男。
「悪かったね。ドア、壊しちゃった」
割れてだらりと下がったドアを指差してにこりと笑う。
「で、あの子はどこ?」
きょろきょろと左右を見渡す。






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